早朝の気配にふと気づく。
俯いている意識はないが、
それでもふとという気付きで顔を上げれば周囲は夜陰の帳を薄めており。
青みがかった灰色という黎明がひたひたと広がる中、
夜明けが早くなったことを知る。
垂れこめる空気は冷たいが、
それでも身を固めて防御を構えるほどではなくなっており。
何とはなしに視線が向いた、
今は車も通らぬ街道沿いの植え込みに、赤紫の蕾が見えて。
『ああ、それは沈丁花だ。』
小さな花だというに、それにしては主張の激しい甘い香りがし、
これを嗅ぐと嗚呼もう春だなぁって思うんだと、
帽子の似合う先達が教えてくれたのだっけ。
“春…。”
空気が緩んで少しは背条も伸ばせる。
埃が舞う突風も吹くがそれでも冬よりは過ごしやすい季節がすぐそこだというの、
こんなことからも判ると教えてくれたのは、
自分もそうだが彼の人にも、多少の余裕が出来た頃合いだったのではなかろうか。
空を御覧なとか、いい匂いのする花だろう?とか、
ちょっとうるさいが元気なもんだと揚げ雲雀の鳴くを教わったのも、
街中ではなく彼の人のセーフハウスがあった山間で、
なんだこの鳴き声はと自分が関心を寄せたのへの いらえだったので。
そういう余裕が出来た、
内向きでばかりいたの、やっと少しは落ち着いたらしいと安堵しつつ、
染ませるようなお声で話してくれた彼の人で。
薄曇りなのか晴れているのかも曖昧な、都会の冬の空がやっと晴れたよに、
菫色の空が晴れ渡った中、それは綺麗な笑顔が見やって来るのへ
すみませんと またぞろ下がりかかった頭だったのまで思い出す。
Trrrrrrrr、Trrrrrr…、と
外套の衣嚢からの微かな呼び出しに気づき、
自分の他は人の気配もない舗道だったが、
だからこそ路面に向いた何処かの窓から 誰ぞに気づかれまいかと素早く端末を掴み出す。
仕事用のそれだのに、送信者の名にあの人のそれが浮かんでおり。
「?」
いつの間に登録されたやら、
まま、このくらいはあの人なら容易かろと、
そのまま何の疑いも持たずに端末を頬に当てて声を待つ。
【やあ、芥川くん、】
どちらかといや寝起きの悪い人なのに、なんでまたこんな早朝にと、そこが少々不審ではあった。
大きな案件にかかわっているようには見えなんだし、
夜中の仕事であれ、例えばあの生真面目眼鏡や人虎を上手にあしらって見張りに回し、
いざという段に頭が回るよう、ようよう睡眠をとる人なのにと。
自分なりの把握を広げ、
もしかしてあの人もまた、この春の気配にぽっかり目が覚められたかななんて思っておれば、
【お誕生日おめでとう。】
「…………はい?」
あ、しまった疑問形で返しては無礼だったか。
でもでも、何ですて?と訊き返したかったのは本心からだし、
何でまたこんな早朝一番に。
【お誕生日だよ、やっぱり忘れてたんだね。この私が授けてやった始まりの日だというに。】
「…あ、いやあのっ。」
機嫌が悪いというお声には相変わらずの反応になる自分の小心さが恨めしい。
そんな態度がまた、気難しいあの人の癇癪をあおるというに。
ただただ耐え忍ぶことでしか対処できなかった、幼いころの貧民街での暴力への条件反射、
どうしてもなかなか直せぬまま、マフィアの狗となったため、
そんな卑屈な態度がますますとあの人には苛立たしかったようで。
口答えしても殴られたが、こちらが悪いと黙っていても倍は蹴られたのを思い出す。
今は居場所も違うし、さすがにそのような仕打ちや対処はされないが、
それならそれで、つんとそっぽを向かれはしないかと思うと何とも遣る瀬無い。
相変わらず不器用で愛想の振り方もてんで判らない自分なぞへ、
昔出来なかった分だと、頭を撫ぜ、髪を梳き、頬をその手で温めてくれる人。
そして、誕生日をくれた人。
『あ、そうか。誕生日を書かねばならないねぇ。』
貧民街の出にはありがちなこととして戸籍なぞなく。
潜入任務などに要りような証明書の偽造を手掛けていただいていた折、
そういう記入欄へと手が停まり、こちらを見やって何事か考え込んだ末に、
『…うん。3月1日でどうだろうか。』
君は年頃には見合わぬほど細くて小柄だから、早生まれとしといたほうが無難だろうし、
厳寒の中じゃあなく暖かくなる一方な頃の生まれだから生き延びられたということで、なんて。
【そういや、そんな言い訳をしたのだったねぇ。】
そうと呟かれたのへ、
ついついまたもや “はい?”と訊き返したこちらに はっとしたものか。
だが、今度はさして機嫌も傾がなかったらしく、
【知りたきゃこれから言うところへ来なさい。今すぐだよ?】
送信口へふふーという吐息がかかったほど、
何へか楽しそうに笑った太宰さんだったようで……。
ぱちんと畳んだ携帯端末から視線を流し、
再び見やった窓の外には、濃い桃色の見事なさくらが花の陣幕を広げて咲き競っている。
日頃 日本人が“さくら”と呼ぶソメイヨシノじゃあないけれど、
それでもこれもまた“桜”には違いない。
緋色が濃かったのと時期も時期だったため、
桃の花と間違えて、あの帽子置きにさんざん嘲笑された河津桜が、
ここ三島では丁度満開になっており。
そういやこれをあの子の肩の向こう、壁に飾ってあった額の中の絵に見て、
描いた人が現地に赴いていたという3月1日がいいかなぁと、
そんな連想で彼の誕生日と決めたのだ。
『面倒だからこれからもこういう記載にはこの日を使おう。』
『はい。』
そも、誕生日なんていうものは誰かに教えられるもの。
生まれたばかりの赤子に今日が何月何日かなんて判りようもないのだし、知りたいとも思わぬだろう。
親や周りの人間や、あるいは何かの届けが要った折、戸籍を見て知るのであり、
大昔は年越しと共に皆一斉に年を重ねたので、
一人一人が何月何日に生まれたかなんて記念日めいた扱いもされなんだと聞く。
そんな屁理屈に便乗し、
あの子の生まれた日というの、自分が決めたのだということが、
今更ながらにこそばゆい太宰であり。
調査依頼の出先からの帰り道、かなりがところ大回りをし、
あの絵のモチーフとなった早咲き桜の名所にて、
何日ぶりかで逢う愛しい子をどうもてなしてやろうかと、
そりゃあ楽しげに笑ってから、
慣れぬ早起きはさすがに効いたか、
春の朝ぼらけへ ふあふあとあくびを放った美丈夫さんだったりした。
HAPPY BIRTHDAY! RYUUNOSUKE AKUTAGAWA!
〜 Fine 〜 18.02.27.
*ちょっとフライングしてますが、
当日が空いてる自信がなかったので見切り発車ご容赦を。
芥川くんのスケジュールを押さえようと、
これでもいろいろ画策したらしいです、策士様。
極めつけは調査の報告に社へ帰ってません。
国木田さんの蟀谷の血管が切れなきゃいいけど。

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